日本は戦後から今まで、決して「平和」に生きてきたわけではない。
1950年の朝鮮全土の8割を焦土と化した朝鮮戦争では「戦争特需」で金を手にした。1975年まで終結しなかったベトナム戦争では、朝鮮戦争同様、国内から軍用機が飛び立つことにも協力した。その後、国内に駐留する米軍に思いやり予算と称して億単位の国費を出し、1991年には湾岸戦争に巨額の戦費を出すことでイラクへの武力攻撃を推進。戦争加害者としての歴史を刻々と刻んできている。日本政府は、1999年の周辺事態法に始まる一連の有事法制の成立によって、市民や企業を戦争に協力させる体制を作ってきた。そして、今!安倍政権は憲法「改正」も視野に入れつつ、集団的自衛権をはじめとする戦争法整備に邁進している。
一方、市民は座してみていたわけではない。
国会や首相官邸前は「戦争反対」「憲法守れ」の声に包まれている。(インターネット環境をお持ちなら、簡単に映像を見ることができるだろう。)沖縄の高江や、名護市辺野古では、新たな軍事基地を作らせないために、必死の作業阻止が続いている。沖縄では島ぐるみで基地撤去に取り組んでおり、京都府の京丹後市でも新たな米軍基地に反対する運動が起こってる。各地では「戦争をさせない1000人委員会」が立ち上げられ、安倍政権の戦争法に反対している。山口県岩国市では、厚木基地からの部隊移駐計画をきっかけに、市民が立ち上がり、「私たちはこれ以上、加害者にも被害者にもならない!」と、米軍の飛行差し止めを求める裁判や愛宕山を軍事利用させないための訴訟を始め、継続的に基地強化反対行動に取り組んでいる。
今、安倍政権は武器輸出三原則を撤廃し、直接「戦争」で「儲け」ようとしている。この「儲け」は、誰かの命と引き換えだ。誰かの頭上に降るミサイルや誰かの体に向けられる銃剣になる。そうして誰かの命や大切な人を奪うだろう。
そう、70年前のアジアや世界のように。そして日本のように。
日本は、戦後から70年、決して平和に生きてきたわけではない。しかし、市民の平和を望む心が、戦後一貫して戦争への踏み込みを阻止し、今に続くまで辺野古への新軍事基地建設を阻み、岩国市愛宕山で米軍に供給される家屋数を減らし、憲法改悪を阻止し、具体的に戦争への道を拒んできた。
小さいことでもいい。積極的に平和を求め、動き出そう。それが、戦争で亡くなった人たちへの本当の意味での供養である。